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2004年12月、「武田有義とかんかん地蔵」という本が出版された。著者は私の父・田中尚純。
武田信義の長男・「武田有義」の生涯および当時の甲斐源氏の活躍についての史実と、その有義が創立した「てん法輪寺」がその後どうなっていったのか、その歴史について記述している。



「武田有義とかんかん地蔵」
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定価1890円(税込み)

ー甲斐源氏を率い、源平の合戦に出陣。
武田氏の始祖・武田信義の長男、武田有義の生涯と法輪寺縁起。ー
~平家の全盛時代、十代で都に上った武田有義。清盛の長男・重盛に仕え、太刀持ちを勤めた
ほどの若武者。しかし、源平の争いに巻き込まれ、甲斐源氏の棟梁としてやむなく出陣。~



武田有義 
たけだありよし。武田信義の長男。平清盛の長男・重盛に仕え,兵衛尉の官位を帯びて活躍した。
平安時代末期、源頼朝の挙兵と同時に立ち上がった甲斐源氏軍の大将として、平家との戦いすべてに参戦。
源頼朝の死後、その側近・梶原景時と共に鎌倉幕府を倒して征夷大将軍にならんとして失敗。
有義の最後は九州・五島列島。当時の源氏・五島家の始祖となる。


法輪寺
1186年武田有義が、京都・嵯峨の法輪寺を模倣した寺を甲斐国に建てる。「てん法輪寺」。当時は天台宗であった。
1380年頃に「法輪寺」と改め、臨済宗・妙心寺派に改宗。現在、山梨県甲府市にある。


かんかん地蔵
法輪寺にある有義の墓の墓表は地蔵である。この地蔵は「将軍地蔵」と呼ばれ、俗に「かんかん地蔵」ともよばれた。


田中尚純
たなかしょうじゅん
僧侶。薬剤師。大学卒業後は製薬会社の研究員。その後、病院薬局長。現在は法輪寺住職のほか高等看護学校の薬理学講師。住職に就任後、平安時代の甲斐源氏について研究を続けている。